「やるやる詐欺」は撲滅できたか
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
一年の計は元旦にありというけれど、今年の抱負を語る前に、自分が昨年の年始にどのようなことを言っていたのかを振り返ってみることにする。その時点での考えとその後の1年の流れをふまえて今年の方針を考えていきたいので。
2011年の年始に抱いた目標:やるやる詐欺を撲滅する
最後までやりとげられないことに対する「不完全燃焼」感
2009年12月に前の会社を辞めてからは、新しい職場では開発環境も勤務形態も何もかもが新しい状態からのスタートだった。そんなスタートから丸1年経った2010年末の時点では、なんとかiOS Appを書けるようにはなったものの、アイデアを製品の形にするところまで辿りつけないことが少なくなかった。
そういうときには「リリースまで辿りつけなかったのは残念だけど、技術的に学ぶことがあったので研究としては意味があった」というようなポジティブ思考で乗り切って次のプロジェクトに挑むのであった。でも、最終的に製品としてリリースするところまで辿りつけないことについては決して満足できていなかった。
2010年末のツイート
2010年の大晦日、自分はそのことについての思いを綴っている。
自分について言うならば、いろいろと思うことがあったから昨年1年間新しいスタートをきったわけだけど、ただ新しいことを始めることで満足してはいけないのは重々承知している。良いと思ったことをきちんとやりとげる。今年はそのために必要なことを着実に進めていきたい。
— Shadow (@capt_shadow) December 31, 2010
昨年は何だか不完全燃焼だったんだよなぁ。やりきれなかったことが多かった
— Shadow (@capt_shadow) December 31, 2010
やりたいことがたくさんあるのは幸せだけど、それをきちんとやりとげられないというのはとても辛い。
— Shadow (@capt_shadow) December 31, 2010
やりたいことを最後までやり遂げるためには何をどうすればよいのか。もっと自律的に行動していく必要があるな……。頑張ろう。
— Shadow (@capt_shadow) December 31, 2010
2011年始のツイート
そして、2011年のはじめにそれらの思いは「やるやる詐欺の撲滅」というキーワードにまとめられた。
同意 RT @shosira: 今年の目標が今唐突に決まった。やるやる詐欺を撲滅する。
— Shadow (@capt_shadow) January 3, 2011
「やるやる詐欺の撲滅」は、手がけた仕事を最後までやり抜くための技術力と責任感を重視し、それを他人に対しても自分に対しても求めていく姿勢を一言にまとめた表現だった。
2011年に「やるやる詐欺」は防げたか、撲滅できたか
相変わらずの不完全燃焼
2011年に入って、技術的な研究量を増やし、社内デモを行なって企画を練る機会を作る努力をした。技術力は少しずつ上がっている実感はあったが、「今はまだ未熟なところもあるけど、成長しているからこの調子で頑張ろう」というポジティブ思考で満足することはできなかった。それは製品リリースまで至らずに「残念だけど、技術的に学ぶことがあったので、研究としては意味があった」と自分に言い聞かせているのと同じだと感じたから。自分で自分を慰めるのはもうたくさんだった。
震災、計画停電、原発事故
2011年3月11日(金)。東日本大震災。自分は自宅で遅い昼食を終え、ケーブルテレビでドラマ「コールドケース」を見終わって、「そろそろ仕事場に顔を出さないとなぁ」と思っていたときに、大きな揺れに襲われた。(今思えば、当時はかなりゆるい生活をしていた。) 震度5弱。建物が軋むような音を立てて揺れとともに曲がるような感じだった。*1
震災当日はそのまま家から出ることなく、テレビによる津波や火災の中継映像をひたすら見ていた。大変なことになったとは感じていたが何もすることができず、あまりの衝撃的な映像や大量の情報を受け流すかのように、目に見たことをTwitterに吐き出していた。職場には1週間顔を出さなかった。
幸いにも自分は徒歩通勤で通勤経路には信号ひとつない。震災以降の通勤に苦労はしなかったが、計画停電の影響はあまりにも大きく、そんな自分の日常にも大きな影を落とした。その後の福島第一原発の事故を契機とする放射性物質への不安は今も残っている。「今回の震災によって、戦後から続いていたひとつの時代が終わった」という意見を震災直後に目にしたが、正直なところ当時の自分は「そうかもしれない。でも、それがどういうことなのかわからない」という程度にしか感じていなかった。今ならそれがどういうことなのか少しはわかるような気がする。
日本中の皆が自分にできることを手探りしている状況だった。それなら開発者として自分に何ができるのだろうか。
「引き継ぎ手」としての自分
4月以降、開発者としての自分の生活は大きく変わった。他の人が手がけていたプロジェクトを引き継ぐことが多くなったのだ。他人の設計を把握してそこに実装を加えるという作業はなかなか骨の折れるものだったが、慣れてくると他の人の設計思想や癖のようなものがうっすらと見えてくるようになってくるところにやりがいを感じた。自分の付け足した実装がきれいにかみ合うととてもすっきりしたものになるし、逆にうまくいかないと見るからに歪なものになる。他人のコードを自分のものにするということを体で覚えた。ちょうど開発にGitを本格活用するようになったのもこの時期だった。Gitを使うと大胆に開発ができるところがよかった。
社外に出かけて人に会うことも増えた。開発者として開発内容を説明するのは、ただでさえ口下手な自分にとってはとても大変な仕事だったけれど、相手がどういう価値観を持っている人なのかをきくことは自分の仕事をする上で大いに参考になったし、自分の仕事を相手に理解してもらう上でも必要な作業なので、不器用ながらも頑張った。
引き継いだプロジェクトを必ず完成させなければならないという責任はかなりの重圧として自分にのしかかってきたけれど、どれもなんとか完成までこぎつけることができたのはよかった。
「やるやる詐欺」は防げたか、撲滅できたか
1年を振り返って改めて「やるやる詐欺を撲滅する」という目標が達成できたかを考えてみる。
引き継いだプロジェクトは完成させた。ただし、残念なことにどれも<完全に>満足できる結果とは言えない。リリース後に改善すべき点が見つかったり、時間的な都合で実装を見送った機能があったりする。達成度を感覚的に数値化すると7割くらいだろうか。もしこのことで他の人が不満に感じていたり不愉快な思いをしているのであれば申し訳なく思う。2011年はリリースまでの努力が大変だったけど、2012年はリリース後の製品の保守をどれくらい丁寧に行うことができるかがひとつの鍵になるだろう。それが残りの3割への取り組みになるし、自分なりの責任のとり方だと思う。
2011年に得たもの
2011年はいろいろな人からチャンスをもらった。ただただありがたく思う。チャンスをもらうたびに全力投球だった。*2 期待に応えることができたかはわからないけれど、自分なりに必死にもがいているうちに1年経ってしまったというのが正直な感想だ。技術的な成長を実感できた瞬間や、父が話している仕事観を理解できた瞬間もあったが、それらについては別の機会にまとめたい。
2012年は…
2012年はまだまだ始まったばかりだけど、まずは「やるやる詐欺の防止・撲滅なんて常識だろ?」と言えるような態勢を整えたい。その上で、自分の専門性を意識した成長を心がけたい。*3 あと、プライベート面での課題として、仕事一辺倒な生活を少し改善しなければいけないかなぁ、と思っていたりする。